機織り 母から受け継いだ技 根井もと江さん(81) 渋川市北橘町箱田 掲載日:2006/08/01
若い人たちに機織りの技術を指導している根井さん
10代後半から嫁ぐ22歳まで、母親から機織りを学んだ。「当時は、嫁の話があっても、着物がなく、自分で織って作らなければ嫁げない時代だった」。その時、織った布で仕立てた着物は、4人の子供の着物などに姿を変えたが、母親が織ってくれた最も上等な綾(あや)織りの着物の生地だけは今でも「宝物」として大切に持っている。
富士見村の大きな養蚕農家に生まれた。機織りは、自宅の8畳間で、近所の年ごろの娘2人と一緒に教わった。時期は養蚕シーズンが終わり、次の年の農作業が始まるまでの12月から3月まで。火鉢で暖をとりながら、糸かけなどから指導を受けた。
「機織りはやり出すとおもしろく、一生懸命になりすぎて緯(よこ)糸を通す時に用いる道具の杼(ひ)を飛ばして障子紙を破ったり、畳に穴を開けたこともあった」
「習い始めて冬を3回越すころになると、上手に織れるようになり、うれしかった。かあちゃんが、養蚕農家の娘として、嫁いでも恥ずかしくないよう、一生懸命愛情を持って教えてくれた」
嫁いだ家は養蚕もする米屋だったが、機織りをすることはなかった。
それが1998年、旧北橘村教委の発案で、古くなった箱田獅子舞の衣装を、機織り経験のある地域のお年寄りに織ってもらうことになった。
根井さんは、この時に6人の「織り姫」の1人として衣装を仕上げた。約50年ぶりに、機織り機の前に座った時は、うまく織れるかと心配だったが、母親から教わった技術は体にしみついていた。自然に手や足が動き、すぐに感を取り戻した。
また、根井さんら織り姫は機織り講座の講師となり、同年から、「機織りをやってみたい」という地域の人たちに技術を伝えてきた。教えた人は100人を超える。
今年も講座は7月に開講したが、根井さんら講師陣は高齢を理由に本年度から引退するつもりだった。だが、「続けてほしい」の声が多く、根井さんらと、これまでの講座の受講者で今年4月「はた織りの会」を結成。経験者が新人の指導にあたり、根井さんらの負担を軽くする方法で、新たなスタートを切った。
「トントンカラカラという機音に魅せられ、毎年多くの人が講座を受講している。母親から受け継いだ技術が、私と同じ『機織りが好き』という若い人たちに伝えられるよう、体の元気なうちは頑張りたい」