機械導入 収繭量増え全国表彰 小林 哲夫さん(77) 伊勢崎市平井町 掲載日:2008/01/23
桑の刈り取り機の前に立つ
小林さん夫妻
祖父の代からの養蚕農家。小さいころから手伝いをし、自然に養蚕の知識を蓄えた。
養蚕は機械化が難しい。桑を刈るのも人手に頼るのが一般的だった。だが、効率を上げるため、県蚕業試験場から機械による刈り取りを提案され、養蚕には桑の仕立てが重要と考えて1975年ごろ、旧佐波東村でもいち早く機械を導入した。
「機械で刈るには、今までの桑畑を更地にして、桑を新しく『横伏せ』にして植えなければならない。50歳のころで、野菜に切り替えるか多少迷ったこともあった。でも、桑は引っこ抜いちゃったんだし、やると決めた以上は気持ちに変化はなかった」
20年ほど前までは、蚕を種からかえす稚蚕飼育も手掛けた。普通の養蚕以上に技術が必要とされる仕事。自宅庭先に稚蚕飼育用の小屋を造り、大事に育てた。
「村内に共同飼育場もあったが、個人でやって失敗すれば自分が責任を取ればいいと父親と考えた。この辺りでは蚕は『おけいこ』と呼んだ。生き物が相手だから、いつも習うことがある。温度や湿度管理、桑くれまでいろいろ勉強した」
両親を亡くしてからは妻のせつさん(75)と2人3脚で養蚕に取り組んだ。
「昭和40年代が1番忙しかった。収繭量も2トン近くになった。夫婦2人で今までと同じぐらいの量を維持するには、機械を入れないと駄目だったんだ」
98年には全国養蚕農業協同組合連合会のコンクールで、前年からの増産が認められて表彰された。皇居の紅葉山御養蚕所を見学する経験もできた。
だが、うれしいことばかりではない。高齢化の波には逆らえず、JA佐波伊勢崎養蚕連合協議会に所属する12人の平均年齢はおよそ75歳。伝統産業を守りたいという思いだけで続けるのは大変だ。
「養蚕の火を消したくないという思いはあるけれど、今では手に入りにくい道具が壊れたらどうしようもないという思いもある。きれいごとだけではできないんだ」
「それでも蚕は好き。好きじゃなきゃここまでやっていない。おっかあと2人、一生続けていくよ」