訪問着 次代に残す特別な品 服部 良恵さん(66) 館林市下早川田町 掲載日:2007/08/29
思い出の正絹の着物を、夫の松男さんと振り返る良恵さん
館林市北部の渡良瀬川に接する下早川田町。牧草地や畑が広がっているが、かつては1面が桑畑だった。
21歳で嫁いだ服部家は、この地域有数の養蚕農家。多い年には春蚕(はるご)、夏蚕、初秋、晩秋と年に4回、繭を取っていた。
「この辺りでは、蚕は『お子さま』と呼ばれ、3眠(3回目の脱皮)まで母屋の客間を蚕室として使うくらい大事されてました。うちでは2部屋をあてがってましたね」
蚕が無事に繭を作り、出荷が終わると、赤飯を炊き、炭酸まんじゅうを作って祝った。
取れた繭の中には「くず繭」と呼ばれる規格外や染みがあるものが必ず出た。もちろん出荷することはできないが、専門の業者が各戸を回って買い取って行った。
「くず繭を売った代金は、家の女たちが自由に使っていいお金で、義母が『これ少ないけど』と渡してくれるんです。嫁へのお小遣いですね。それがとても楽しみでした」
余った桑も小山市(栃木県)などの養蚕農家がやって来ては買っていき、やはり女性たちの小遣いになった。
毎年、5月31日と6月1日に市内の富士嶽神社で行われる「初山大祭」。赤ちゃんの額に御神印を押してもらい、健やかな成長を願う神事だが、長男が生まれた時は蚕の世話が忙しくて行けなかった。夫の松男さん(67)とともに神社に頼み、次の日に特別にやってもらった。
ヘビが苦手。「春の桑切りの時期になると、広い桑畑の中で、必ず1匹や2匹と遭遇した。こわごわ仕事をしていると、義父がさりげなく先に行き、いないかどうか桑の木1本1本を確認してくれた。昔の人らしく、気が付くと、黙って追い払ってくれた」
たんすには思い出の着物がある。足入れの時、姑(しゅうとめ)が出荷せずに手元に残しておいてくれた繭を白い生地と交換し、作ってくれた。その正絹の若草色の訪問着は、今も節目の時にだけ着る特別なものだ。
「30年前に蚕はやめたが、これはこの家が養蚕をやっていたことを示す数少ない品。義母が作ってくれたこの着物を息子の嫁や孫にきちんと伝えていくのも、私の大切な仕事の1つだと思っている」