絹人往来

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機織り 伊勢崎銘仙残したい 宮内 まつ江さん(69) 伊勢崎市境下渕名 掲載日:2007/12/19


「仕事をできることが幸せ」と話す宮内さん
「仕事をできることが幸せ」と話す宮内さん

 「仕事があることが幸せ。機織りには定年もないし、仕事が続けられることを生きがいに感じている」
 30代前半から機織りに携わってきた。もうすぐ70歳を迎えるが、今でも現役だ。
 1970年ごろ、義母の具合が悪くなったことをきっかけに、家で看病をしながらできる仕事をしたいと考え、機織りを始めた。
 「機織り機を買って、機屋さんの指導を受けて最初のうちはただ夢中に織った。そのころは機織りをしている人が多く、周囲の人と比較されることもあった。今では、ほとんどいなくなって珍しいと言われるようになってしまった」
 70年代から80年代にかけて、ウール素材で着物と羽織が一緒になった、アンザンブル銘仙が流行したときには、多忙を極めた。
 「織っても織っても、機屋さんが糸を持ってくる。朝食の前や夕食の後に作業したり、夜なべをしたり家事の合間に時間を見つけては機織り機の前に座ったもの。本当に忙しかった」
 機織りに大切なことは、柄をうまく合わせて織ることと、糸を切らないことだという。
 「糸が切れれば不良品になってしまう。しかも、糸が切れるとつないで補修するのが大変。でもうまくできるとうれしいし、どんな人が着るのかと想像しながら織るのは楽しい。出来上がった製品は1つ1つが自分の作品で、愛着がある。中には自分で着てみたいと思うものもあって面白い。機を織るのは好きだから、気が付いたら40年近く続けていた」
 今でも1カ月に10から20の製品を仕上げている。
 「機織りを始めてからこれまではあっという間だった。着物をあまり着ないという時代の流れもあるけれど、歴史ある伊勢崎銘仙を残したい。若い人に技術を受け継いでもらいたいという願いもある。これからもできる限り機織りを続けていきたい」

(伊勢崎支局 伊草実奈)