蚕種製造所 雌雄の鑑別、管理に汗 早水 道子さん(67) 富岡市富岡 掲載日:2007/09/07
富岡製糸場で「早く世界遺産になってほしい」と期待を込める早水さん
「時計を手にした工女さんから『時間です』と声が掛かると、交尾した雄をピッピッピと引き離していく。その瞬間に雌が丸く、きれいに種を産む。白く、少しクリーム色がかった種だった」
富岡市の旧片倉工業富岡工場(旧官営富岡製糸場)の南東隣接地に、併設の蚕種製造所があった。良質な繭を確保するため蚕種販売や養蚕指導にあたり、地元では「蚕種部」と呼んでいた。
「30代後半当時、製造所に2年ほど勤めた。最初は蚕の雄雌の鑑別。ひっくり返すと、雌はおなかに星(斑点)が4つ。見分けがつかない蚕は工女さんに調べてもらうため、胸に止めた」
「農家で育ててもらった雄のサナギを2階、雌は1階でう化させた。雄の部屋からはバタバタと、すさまじい音が聞こえた。ころ合いをみて、雌を放した台の上に雄を放してやる。雄は役目が終わると、ごみ箱へ。無情だけれど」
製糸場の蚕種研究の歴史は、原合名会社時代から。市教委の調査報告書によると、1908年ごろに建設されたれんが造りの製造工場1棟には地下室があった。
「毛蚕(けご)になると地下室へ運び、光をさえぎり、室温も管理して成長を止める。温度差をやわらげるため、懐中電灯を持って棚の上下を入れ替える時も、ほんの目の前しか見えなかった」
2000平方メートル余りの跡地は国史跡の1部だが、建物は取り壊され、更地となっている。記憶によると、事務所や寮もあり、工場本体とは別の工女を含む20人余りが働いていた。
嫁ぎ先は製糸場の正門前で、87年に亡くなった義母、フクさんは工女らを相手にパンや菓子を販売していた。ホームシックにかかり、「においがきつい」「仕事がつらい」とこぼす若い工女を、フクさんは「自分の取った糸で成人式に振り袖を着るんだから」と励ましたという。
同じ場所に、夫の幸夫さん(73)とともに料理店を開いた。製糸場を訪れた新潟県の女性グループが立ち寄り、「お世話になったおばちゃん(フクさん)に会いたかった」と残念がった。