絹人往来

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古民家再生 養蚕家屋の知恵後世に 田口 幸作さん(78)  前橋市荻窪町 掲載日:2008/09/26


「動けなくなるまで続けたい」と話す田口さん
「動けなくなるまで続けたい」と話す田口さん

 「昨日、配蚕(はいさん)だったんだよ」
 桑の葉の香りが充満する室内に3センチほどの蚕が約10万匹。「今日はふなやすみ(三眠)。頭を上げてじっとしているお蚕は、今休んで体を乾かしているところ。乾くと脱皮して、桑を食べ始める」と説明しながら、優しい目で蚕を見つめる。
 養蚕の合間に建築業も営む。1955年ごろから、大工の下で修行し、60年に独立。木造住宅を専門に手掛けている。それでも「養蚕は継ぐつもりだった」という。
 「学校から帰ってきて桑採りに行ったり、縄を結って蔟(まぶし)を作ったり」。幼いころから養蚕を手伝っており、継ぐのは自然なことだった。
 本格的に始めたのは約25年前。春と秋に1回ずつ、稚蚕飼育所から小さな蚕を受け取り、繭を作らせて出荷する。「お蚕に桑をやるのは1日に3、4回。そのたびに畑に桑を採りに行く。お蚕をやっている間は用足しに出かけられない」
 普段は妻のふみ江さん(80)と二人で作業するが、上蔟(じょうぞく)の時には家族総出。自宅の敷地内に住む三女の五月さん(43)夫婦や、近所の人も手伝ってくれる。「上蔟が1番大変。お蚕が桑を食べなくなって黄色くなる。それから三日くらいで繭になる。見極めが難しい。遅いと回転蔟から落ちちゃうし、早いと繭を作らない」
 養蚕では温度管理も重要。9月初旬でもストーブをつけている。
 「空気を動かすのと、温度を調節するため。今は24、5度。桑付けの時は20度はないと、桑の食いが悪くなる。夜中でも目が覚めたら温度を見に来る」
 今、荻窪町で養蚕を行っているのは三軒だけ。「昔はどの家でもしていたが、繭の値段が下がり、みんなやめてしまった。1回やめた人はもうできない。道具を処分してしまうから」
 田口さんも親がやっていたころの半分程度に規模を縮小したが、「やめようと思ったことはない」と言い切る。
 「生活の足しに、やれるだけやろうと続けてきた。人間は楽を覚えたらだめ。おおごとしなけりゃお金は取れない。自分は動けなくなるまで続けるつもり」

(前橋支局 石原千愛)