絹人往来

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桑束ねる縄 冬の間に1年分確保 赤石 宗一さん(65) みどり市大間々町小平 掲載日:2008/02/02


思い出の蚕具を手にする広田さん
思い出の蚕具を手にする広田さん

 大間々町の北東、小平の里親水公園の1角にある野口水車保存館の管理人。映画「眠る男」のロケ地として知られる同館の目玉展示の1つが「縄なえ機」。
 わらを入れて足踏みミシンをかけるように動かすと、わらが縄に仕上がって出てくる機械だ。
 「自宅にもあるが、うちのはペダルが木製。保存館は鉄製であり、これが原型かもしれない」
 昔は稲の天日干しが終わり「稲わら」ができると、各農家では冬の間に1年間に使う縄を作った。
 「機械のおかげで手で縄をなうより、うんと効率的だった。よりをかけるタイミングを調整する必要があったがね」
 小平は山あいの集落。当然、水田は少なく、わらの縄は貴重品だった。
 「桑の木を切ったのを束ねるのに便利だった。わらのない家は山に入り、フジのつるを取ってきて代用した。お蚕さまを飼育する、このめ台(蚕架)を作るときにも使った。棚枠の板に欠刻を作り、これに竹を合わせて縄で縛り付ける。12段あるのを、長い1本の縄で上から順番に縛ると、きっちりとしまったもんだ」
 ビニールと異なり、使用後も環境を破壊することなく自然に戻せる利点もあり、農家の持つ文化の素晴らしさをあらためて感じたという。
 旧勢多東村小中(現みどり市東町)の生まれ。実家は林業が主。養蚕は春の1回だけだった。
 養蚕を本格的に手掛けたのは結婚で小平に来てから。夫婦と義父母の4人で1980年代まで春、夏、秋、晩秋の4回飼育した。
 「山なので晩々秋は寒く、燃料代がかかりすぎて無理だった。斜面が多く、桑畑もなかなかできず、桑の成長も遅かった。カゴを腰に付けて桑の木に登って採った。足らないので1トン車で1日に2回も桑を買いに行ったこともある」
 「子供たちは“蚕の季節”を恐ろしがった。家中が蚕に占拠され、家族が寝るところもなくなるし、親が忙しく動き回り、構ってもらえないからね」

(わたらせ支局 本田定利)