地直し 染み抜いて反物再生 仲沢 正さん(60) 高崎市貝沢町 掲載日:2007/2/28
熟練の技術で色落ちを修復する仲沢さん
染色補正、いわゆる染み抜きの第一人者だ。高崎に「仲沢染色補正店」を構えて35年。県内で唯一、一級染色補正技能士の資格を持つ。
「口紅やお酒の汚れを落とすだけが染み抜きではない。染色工場で誤って付いた染料を落とすのが一番難しい。これが『地直し』。できるのは県内で私くらい」
東京生まれ。神田で5年間、修業を積んだ。
「徒弟制度を経験した最後の世代。本当の“でっち奉公”だった。一部屋に小僧5人で暮らし、仕事場を片付けてそこに寝た。便所掃除から米炊きまで何でもやった。もらえるお金は数千円の小遣いだけだった」
前橋で染色関係の仕事をしていたおじに招かれ、染め物が隆盛を迎えていた高崎で開業した。売り物にならなくなった反物を正規品に生まれ変わらせる地直しは、当時の最新技術。業者からの注文が殺到した。
「染色工場に仕事を説明すると、『そんなのが仕事になるのか』という年寄りもいた。物不足の時代には、色が付いていれば何でも売れたから。しかし、世の中が豊かになると、染みのある反物は値が落ちる。大半の工場は歓迎してくれた」
開店直後から毎日、50反もの反物が運び込まれ、午前2時、3時まで働いた。変色を避けるため薬品は極力使わず、水と油、ブラシと指先で汚れを落とし、染料をのせて色を整える。勘と経験だけが頼りだ。
「仕立屋が、取引先の呉服屋から預かった反物を持ち込んでくることも多かった。その場で直してやり、『ありがたい』と拝まれたこともある。仕立てには期限がある。焦がしたり汚したから待ってくれなんて、とても言い訳できない」
仕立屋から受けた仕事は、呉服屋にも分からないように仕上げる必要があった。地直しはあくまで裏方だ。今も仕事のほとんどが業者相手。店の看板も掲げていない。大半の消費者には存在を知られていないし、知らせる必要もないという。
「染色補正はあくまで黒子。目立たない方がいい。『うまく直ったね。これだけ直れば十分』なんて言われるようでは、まだまだ。『どこを直したんだっけ』と言わせなければ」